「どうしても放射性廃棄物を捨てるなら、東京に」原子力の識者がなぜ反原発を掲げるのか、京都大学原子炉実験所・小出裕章助教に聞く

「どうしても放射性廃棄物を捨てるなら、東京に」原子力の識者がなぜ反原発を掲げるのか、京都大学原子炉実験所・小出裕章助教に聞く

──国や政府には基本的に期待なさらないということですが、逆に、今の世の中で希望を感じるような事例はありますか?
例えば、私はよく知らないけれど、この間高円寺で若者たちがデモをしたということで、ちょっとはインターネットでその映像が流れてきましたが、「ああ、歴史はやっぱり流れているな」と思いました。

私はチェルノブイリの事故があった86年の秋に、ウィーンに行ったんです。チェルノブイリの事故で、原子力に反対してきた学者たちや運動家が集まって「反原発」、「Anti Atom International」という会議がありました。その時に色んなイベントが同時並行で行われていて、ウィーン市内で原発反対のデモをするというので、北駅とか南駅とかあちこちから出発して、中心にあるホーフブルグ宮殿を目指したんですが、北駅に行くと、誰もいない。主催者みたいな人はいるんですが、周りを見ても誰もいなくて「今日これでいいのか?」と聞くと「いいんだ」と。でも、そうこうする間に、どこかから沸き上がってくるようにして、人々が集まってきた。それもみんなてんでんばらばらの格好をして、一つのプラカードを持っているわけでもないし、隊列を組んで腕を組んでやるというのでもないんですね。それぞれ自分のつくった看板を背負った人もいるし、乳母車を押している人もいる。それぞれが自分の主張を持って、沸き上がってくるんですそういう人たちがデモをして、いつの間にか大群のデモになっている。当時の日本では到底考えられないかたちで、組織が動員もしないし、隊列を組んでシュプレヒコールというわけでもない。「ああ、こういうデモがあるんだな」と、ヨーロッパがいいというわけではないけれども、歴史の成熟を感じて、こういうふうに一人一人が自分の自発的な意志で立ち上がるような日が来れば、人の世も変わるなと思いました。


このあいだの高円寺のデモがどれほどのものか私は知らないけれども、でも確かに「一歩近づいたんだな」と思いました。私が希望を託すとすれば、そういうことです。政治家とかそんなことではなく、生きる人間の、一人一人です。そういうのを見ると、少し希望を感じます。まだまだ小さ過ぎて、ダメなのかもしれませんが。
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こういうデモって日本では難しいのだろうか。
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現実にいる政治家に会うこともあったが、どうにも信用ができなかった。それは、客観性のない事実を彼らが信じ、誰が考えたかもわからない論理を発展させ、政策にしていたから。僕は、そんな彼らに辟易としていたが、何もせず彼らの好きなようにさせておくわけにはいかないと考え、少しでも多くの人へ、事実を伝えていけたらと思い、ここに行動を開始いたします。

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